走馬灯
昨日11月24日は去年亡くなった大切な先輩であり友人の命日。
走馬灯の様に思い出が廻る。
15年前、その人に送った一枚のFAXから『NEXUSVII.』は始まりました。
その人に出会ったのは中2か中3の頃。
たまたま水戸駅まで歩いている途中で発見した5坪程の洋服屋で。
背が高くて顔は面長なムラジュンさんのような印象のアルバイトのお兄さん。
GOOD ENOUGHのPコートを着ていたのが特に印象的だった。
その人は当時、何も知らない中坊の自分に色々な事を教えてくれた。
STUSSY , GOOD ENOUGH , INSANE , POLO ウイングフットシリーズ , AIR JORDAN 1, SUPER STARの黒、デッドストックのデニム...
どんどんその店が好きになっていった。
いつのまにかそんな店をやりたいというのが将来の夢にまでなっていた。
高校になり千葉へ戻り都内へ頻繁に足を運ぶようになっても自分の中で水戸のそのお店のトップポジションは変わらなかった。
その人がいたからだと思う。
ある時から突然その人は水戸を離れ上京して代官山のお店で働き始めていた。
いく度にそのお店の天井に頭が付きそうな見え方がおかしかった。
その後、退屈になりはじめた都内の大学を辞めて、ようやく念願の自分の店舗を出そうと思った時、真っ先に相談したかったのもその人だった。
でも、当時のその人は働いてた代官山のお店を辞めていて、水戸の仲間をたどって何とか会う約束を取り交わせた。
恵比寿の中華屋で仲間と三人で再会した。
金髪のベリーショートで、STUSSYのSSリンクが入った浅い黒の帽子を被り、STUSSYが昔、限定で出した1st.タイプのGジャンを着て、ヘルムートラングのパンツを履き、足元はACGのリバデルチ。
やっぱり雰囲気あるなって改めて確認した。
その人には一番大切な店のロゴのデザインを頼んだ。
そのロゴは慶太が護り抜き今でも千葉で使われている。
その後どんどんやり取りが増えた。
困ったり悩んだりするとすぐにその人に相談していた。
いつでも親身になって相談に乗ってくれた。
本当に飯が食えないくらい貧乏な辛い時期でも、その人に『大丈夫』と言われるだけでやる気が満ちあふれた。
自分もそういう人間になりたいって今でも思っている。
『NEXUSVII.』で初めて作ったTシャツはその人へ宛てたFAXのイラストをバックプリントに入れた。
当時はまだMacを買えなかったから『NEXUSVII.』の最初のフロントロゴもその人にMacで描き直してもらった。
それが15年前。
それから半年後の2001年8月『NEXUSVII.』が始まった。
他にも色んな場面がどんどん廻ってくる。
その人に出会えていなかったら、全く違う人生だったと思う。
自分の一番の恩人。
出会えて本当に良かった。
感謝しかない。
でも、まだまだたくさん話したかったな。
本当にたくさん有難うございました。